なぜ教えるのが楽しいのでしょう
通信制高校の高校生たちをサポートする仕事について1年ほど経ちました。
通信制高校に在籍している学生たちは、ほんとうに様々です。
進路にもそれは表れていて、
就職を希望している人、専門学校、短大、大学進学、海外大学への進学と多様です。
教える側としても、
ひとりひとりの人生に役立つことはなんだろうと柔軟に考える必要があります。
教える仕事は子育てのように大変そうだとイメージしていましたが、案外楽しみもあります。
これは、前職のIT業界にいたときに比べて、かなり異なった反応です。
正社員から、業務委託のフリーランスになって、時間に余裕があるというのも要因なのですが、
もっとやってあげたいとか、こんなのも必要かなとか、
前向きに試行錯誤しようという気持ちがあります。
以前はもう毎日の労働がつらく、少なくとも周りに迷惑をかけないように必死でしたが、
現職では教材作りや、生徒との対話も楽しみながら邁進しています。
恐怖や不安に怯えながら仕事するよりも、
明るいほうを見ながら仕事するのは、こんなにも生活を変えるのだなと実感しています。
人に教えるというのはどういうことなのか。教えることの副産物。
勉強を教えるという観点からみていくと、
高校受験の時、数学が苦手だったわたしは、数学が得意な友達に教えてもらうかわりに、
英語を彼女に教えるということをしたことがあります。
そのときに先生に教えてもらったのが、
「人に教えるには、その物事についてその人の3倍ほど知っていなくてはいけない。」
という助言をいただいた記憶があります。
たしかに、一度その山を登りきった人でないと、
なかなか道先案内人をするのは難しいんじゃないかと想像します。
一度自分が通り抜いた道は、頭の中で全体像を俯瞰して整理できていますから、
冷静に言葉にしてわかりやすく生徒に伝えることができると思います。
また、自分が教えることによって、自分自身の理解も深まっていきますし、
自分が興味のある物事以外にも取り組む機会を得ることができます。
教えるということは、まずが伝える側の私がその物事を理解して自分の中に落とし込む必要があります。
そしてその理解した内容を、わかりやすく言葉や図にして生徒たちに伝えていきます。
イメージとしては、親鳥が自分の口の中で食べ物を咀嚼して、子供が食べやすいようにしてそれを与えているような感じです。
受験をする子供たちに教えることは、
勉強だけではなく、志望校の決め方や偏差値という考え方について、
科目以外にも伝えることもあると感じています。
勉強することへの気持ちの持ち方や、学ぶことによって享受できるものなど、
前向きに勉強に取り組めるよう、自分がこれまで学んできたことを彼らにも伝えていきたいと思います。
通信制高校の生徒は自分の裁量次第で変わる
自分は全日制の高校に通っていたので、
通信制高校がどのようなものか知らなかったのですが、結論とても自由です。
必ず登校しなくてはいけない日が3日ほどだということですし(おそらく学校によって異なります)
単位を取るためのレポート提出も、前期と後期のそれぞれの期限内であればいつでも提出していいというようなルールです。
全日制の高校と比べて、圧倒的に自分の時間があります。
その時間で体調不良を癒していったり、こじれた人間関係のストレスを鎮めたりして、
だんだんと元気になっていきます。
大学受験をしようと、留学をしようと、アルバイトで職業経験を積もうと、その生徒が時間をどう使うかです。
ただ、その自由な時間は諸刃の剣でもあって、自由がゆえに生活リズムが乱れてしまう生徒もいます。
最近はスマホやゲームなどで交感神経が優位になって眠れなくなることもあるそうです。
心身ともに元気を取り戻すことができれば、
通信制高校の生徒たちは、その自由な環境を自分次第でプラスにもマイナスにもできると感じています。
自分自身も浪人という猶予期間で自分のやりたいことを再確認することができました。
自分の行きたい方向を見据えて行動できるように、この先も応援していきたいと思います。
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